Eliezer Yudkowsky "2-Place and 1-Place Words"
感想:
// それはカリー化ではなく部分適用では
// 一項述語であることは直ちにそれがその物の内在的性質を表しているという意味にはならないので、部分適用して一項述語にするだけでは議論が足りない
ただ、主観的な語彙における主体と対象の関係は、「〜は〜の右にある」のような関係よりも、「〜は〜に似ている」のような関係に似ているから、内在的な性質に還元しやすい
いや、「AはBの東にある」も、Aの位置がもし東経10°、北緯50°なら、「Bは東経10°より大きい東経を持つ」とAに言及しない形に言い換えられるから、還元の容易さに違いはないのでは
それは絶対空間か、相対空間かによる?
主観的な述語であっても、そこから主体に言及しない条件をつくることができる (「おいしい」という述語について、ある人を固定したとき、その人が美味しいと感じる条件を調べれば食べ物の性質だけを表す1項述語を作れる) というのは、選言問題と似てる?
「ある人が牛を見ても誤って馬と思ってしまうというような (見間違いの) 条件を調べていくと、誤りがありえないような「馬」の解釈が作れる」
「ある人がおいしいと思うというような条件を調べていくと、主体独立的な「おいしい」の解釈が作れる」
2項述語を1項述語にするやり方として、
特定の物を固定し、部分適用する Q(y) = P(a, y)
普遍化する Q(y) = ∀x. P(x. y)
などがあるという感じがする。
2項関数のいずれかの項について平均化して1項関数にする
$ g(x) = (\Sigma_{x=1}^n f(x, y))/n
その消される一個の項が人に当たると考えてみると、何か主観的なものを客観的にする仕方っぽく見える。